コラム

■第5回 体験談「M&A後についてお話しします」  北原慎一郎

 M&Aで企業を譲渡した人が、その詳細を語ることはめったにない。ましてM&A後について語ることはほとんどない。そこで、自分のM&A後についてお話しすることにした。

 M&Aで社長を退任した翌日、愛犬と近所を散歩しているときに、「今頃、みんな頑張っているんだな」と、一瞬、自分が仕事をサボっているかのように錯覚した。平日にカジュアルな服装で街に出るのに抵抗があった。時々“曜日”を忘れた。初めて出会った人に名刺を出さないと訝しがられた(どの集団に属しているかを知りたがる)。でも、段々にこれらのことが気にならなくなっていった。

 M&Aをした年に北大の公共政策大学院を受験した。友人がこの大学院に社会人枠で入学しており力になってくれた。入学試験は面接と論文だ。彼から論文指導を受けた。事業承継について書いた“自信作”を読んで、「北原さん、これは論文じゃないよ、作文だよ」と真っ赤に手直ししてくれた。正直そこまでしなくても良いじゃないかと思ったが、おかげで入学がかなった。

 初めての授業は中島岳志先生の事例研究だった。その日のテーマはフクシマで、ゲストスピーカーが震災後のフクシマについてお話ししてくれた。興味深かった。お聞きしながら、次の話しの展開を期待した。しかし、ゲストスピーカーは最後までフクシマの今を語り続けた。少々物足りなく感じた。しかし、中島先生は「大事なのは、予見を持たずに今起きていることを、そのままに感じることだ」とおっしゃった。それが学ぶということだと気づいた。そして、自分がほんの少し進化したと感じた。嬉しかった。

 中小企業診断士の資格を取得した。還暦過ぎてからの資格取得はさすがにきつかった。一次試験は7科目もあり、記憶力勝負である。この年では、いくら覚えてもドンドン忘れていく。絶対に覚えなくてはならない知識を部屋中に貼り出し、朝一番に声を上げて読み上げる。家内に「また読経が始まった」と茶化された。その後12時間かけて知識を頭に大量に詰め込む。それが日課となった。なんとか奇跡的に合格できた。嬉しかった。また少し進化したと思った。

 一次試験合格後に、東京の中小企業大学校で中小企業診断士養成課程を履修し診断士の資格を頂いた。このため東京で6カ月間、寮生活をした。上京前の1月にPET癌検査を受けた。軽い気持ちでうけたPET検査だったが腎臓癌が見つかった。勿論初期だった。慌ただしく入院し、手術していただいて退院すると、2週間後には東京での寮生活が始まり、半年間家を留守することになった。家内がまいってしまった。もしも「これ以上無理だよ」と言われば、資格は諦めて札幌に戻るつもりだった。しかし、家内は一次試験突破の奇跡を台無しにしたと自分を責めるかもしれない。考えた末に、毎日2回電話することにした。朝8時と夕方7時に。それまで電話は事務連絡のツールとしてしか考えていなかったので、3分間以上の電話をしたことが無かったが、この時ばかりは20分間だ。電話で雑談が出来ることを知った。今より夫婦のコミュニケ―ションは格段に良かったかもしれない。離れて暮らすと自分を客観的に見られるようになる。「家内のことをもう少し大事にしなくちゃ」と思った。これは大事な進化だった。ただし、「あなたは相変わらず自分のことばかり考えているわ」と大反撃にあうかもしれないが…。

 今、北海道事業引継ぎ支援センターでM&Aのお手伝いをしている。高齢の経営者が、どのように経営者としてのピリオドを打つかは重要である。笑顔に囲まれ、「お疲れ様」の声のなかで最後を迎えるのと、一人寂しく悔しさの中で迎えるのとでは、別の人生になってしまう。最後の瞬間こそが大事である。今、依頼者の「ありがとう」の一言のために、無我夢中になれることに嬉しさを感じている。またひとつ進化を実感した。

 誰もが還暦を過ぎても進化できる。それまでの体験や友情を活かしながらも、それまでの生き方にしがみつかずに進化することができる。新しい使命に、新しい情熱を注ぐ、新しい生き方ができる。M&Aはそこに踏み出す勇気を与えてくれた。






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